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大本歌祭

大本歌祭

世界を平和に導く神事

歌祭は、日本民族の祖先が遠く上代に執り行っていた神事であり、芸能でのあり、両者の渾然一体となった民族的祭典です。
昭和10年10月、大本の教祖の一人 出口王仁三郎聖師は、中絶していた歌祭を古式の精神にのっとり、和歌を献じて世界平和の実現を誓う大本歌祭として復興しました。
直後の不当な弾圧「第二次大本事件」で中断を余儀なくされましたが、事件解決後の昭和25年、再び復活し、毎年続けられており、2019年で70回を数えます。
現在は毎年、四大大祭の一つ「瑞生大祭」の前日の8月6日、亀岡市天恩郷の万祥殿・能舞台上で執行されています。

八雲神歌




「八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を」
八雲神歌と呼ぶこの和歌は古事記、日本書紀に出てきます。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治した時に詠われたものであり、古典の中で一番最初に出てくる和歌ということもあり、和歌の起源、芸術の起源といわれています。
そして大本では、歌祭のおり、たくさんの献詠歌が並ぶ歌垣の中心に設置された柱の四面に、この歌が揮毫された短冊を掲げ、ご神体としています。

朗詠と弓太鼓

歌垣に献じられた献詠歌は、弓太鼓と八雲琴の音色に合わせて、夷振調(ひなぶりちょう)で次々に朗詠されます。夷振調はもっとも古い歌謡のリズムと言われています。
弓太鼓は素盞嗚尊が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)からこの大海原(地上世界)に平和を築く責任をまかされ、さて出雲は平定したが、八十国(やそくに)までというと並大抵ではない、と須賀の宮でご心労になっているところへ、妃の櫛稲田姫(くしなだひめ)が弓を桶にくくり、それを打ち鳴らしてなぐさめられたところ、たちまち尊の心から暗い影が消え、希望に満ちた勇壮なリズムが起こり、尊の口から「八雲の歌」が朗々と生まれました。これが弓太鼓の起こりであり、また弦楽器の始まりであると言われています。

舞姫

朗詠の前後には、能衣装をつけた三神が現れ「大和御歌の舞」「須賀の宮の舞」を舞い修めます。これは櫛稲田姫、手名槌(てなづち)、足名槌(あしなづち)の翁媼を模したもので、歌祭の雰囲気に奥ゆかしさと華やかさをもたらせてくれます。

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