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Tedx Kyoto 2018 …Hiromi Yano

 友人達はしばしば、私に尋ねます。「どうしてイスラエル、パレスチナに行くの?」「そんな危険な所へ行く事えお奥さんはどう言ってる?」「怖くない?」

 いつもではないですが、こう言った質問をよくされます。ここ20年の間に、12回行き来したイスラエル、パレスチナに私が行くと言ったときです。
私は大抵彼らに、次のように答えます。「私はイスラエル、パレスチナにいてもいつもいつも危険を感じてるわけではないよ」

 人々がイスラエル、パレスチナについて考える時、彼らが想像するのは、いつまでも続く紛争です。ー 目には目を! 歯には歯を! 
双方からの報復と復讐の文化。 どうしてそのように考えるのかを理解するにはテレビのニュースを見てください。

 皆さんがニュースで見ないものがあります、仕返しの応酬ではなく、相互の和解によって争いを解決しようとする双方の人達のストーリーです。

 この人達は肉親との死別を、さらなる暴力と懲罰を正当化して使うのをやめるよう望んでいるのです。

 彼らは紛争遺族会と呼ばれています。パレスチナ、イスラエルの遺族がお互いに和解を達成するために取り組んでいるグループです。 

 私はこのグループと2003年以来15年間交流しています。

 キーワードは遺族です。それぞれの家族は少なくても1人の親族をイスラエル、パレスチナ紛争で亡くしています。

 遺族会は1995年にイツハック•フランケンタールと数人のイスラエル遺族によって設立されました。最初のパレスチナ、イスラエル遺族の会合は1998年に行われています。今では600以上の会員家族がいます。

 会員は持続可能な平和を成就するには、和解が前提であると信じています。会は教育、公開会合、そして、メディアを使ってこれらの考えを広めています。対話集会、ワークショップ、そしてイスラエル、パレスチナの子供のためのサマーキャンプなど多くの活動をおこなっています。

 話を進める前に、私はけっして遺族会の代表でも、また彼らの主張のスポークスパーソンでもない事を述べておきます。日本でのユニークなプロジェクトを通じて私は遺族会を知りました。そのプロジェクトについて皆さんにお伝えしたいと考えています。

 ここにいる私達は皆、時に日々の日課から離れた事がきっとあります。新しい町への短い旅行、別の国への海外旅行。私は皆さんにその時に事を考えてもらいたいのです。日常から離れてどのように感じられるのか。新しい場所、新しい食べ物、新しく見るもの.新しい経験の機会、学びの機会。 日常を離れ旅をすることは、魂の洗濯です。そして、新しい日常へ戻った時、何かを自らの精神に、自らの心にもたらす事を望みます。

 2003年綾部市は遺族会から10代の若者のグループを招きました。イスラエル人とパレスチナ人を半数ずつ。日本の若者と、そしてイスラエル人とパレスチナ人と、文化交流体験です。私は綾部と遺族会との関係を仲立ちし、綾部プロジェクト参加者の選考を担当しました。

 この遺族会から分かった事は現地ではイスラエル人、パレスチナ人が対話や他の体験を共有することがいかに困難かです。2003年に私はその事を知りました。この子供達は1度も、ほとんどお互いに接点がなかったのでした。

 彼らを日本に招き私達の文化を体験してもらい、同時に、彼らにもお互いを知ってもらうのです。子供達はイスラエルとパレスチナが1組で、同じ日本の家庭にホームステイしました。

 太鼓、折り紙、そして、その他の日本の伝統を実地に体験する事によって、イスラエルとパレスチナの若者は違った文化を共に学びます。私達が彼らを招く主なる理由は、彼らに、日本で異なる文化を分かち合う機会を提供することなのです。

 それぞれのプロジェクトの終わりには、少なくとも何人かの10代の若者は言います。「私達ははるばる日本に来て自分達がいかに似ているかを理解しました。そして自分達のとは違っても、素晴らしい文化があることがわかりました。」

 綾部での最初のプロジェクトのあと、他の日本の都市もこの趣旨を引き継ぎます。同様のプロジェクトが行なわれました。私の役割は遺族会との関係を維持し、子供達と大人の世話役をこちらに来てもらう段取りをつけることです。それぞれのグループにはパレスチナ側、イスラエル側それぞれ1名の大人の付き添いが同行します。

 その世話役の1人である、アーロンはかつて、次のように述べました。「もしこの10代の若者達が、彼らが抱える個人としての喪失に関する憎しみ、不幸、悲しみを、克服出来れば、恐らく多くのイスラエル、パレスチナ人が共に生きる事をまなぶ事ができるでしょう。」

 アーロンは兵役中の息子を失っています。

 残された時間で何人かの参加者についてお話したいと思います。

 アブドラから始めましょう。私が彼に最初に会った時、アブドラは東エルサレムに住む17歳のパレスチナ人でした。彼の父はイスラエル人によって何度も投獄されていました。叔父は紛争で殺されました。

 彼はとても優秀で医学部への進学を望んでいました。まずは高校を卒業しなければなりません。それは簡単ではなかったのです。

 彼は東エルサレムに住み、高校はそんなに遠くではなかったのですが、そこへ着くことが日々の苦難でした。普通はバスで10分程度でした。

 パレスチナ人や世界の多くの国が違法であると考えるイスラエルの入植地を通過しなければならなかったのです。そして多くのイスラエル軍の検問所を
通らななければならなかったのです。アブドラはしばしばイスラエル兵士による屈辱とハラスメントの対象になっていました。そして、時に理由を示されずに、通過を完全に否定される事もありました。

 アブドラの経験はパレスチナ人にとってまれなことではありません。しかし、こう言った話をイスラエルの青年達は今まで聞いた事はありませんでした。
彼らは日本に来るまで、聞いていませんでした。

 パレスチナ人もまた自分達が知らなかったイスラエル人の生活について聞きました。例えば、イスラエル人の中には自爆テロと迫撃砲の恐怖で生活している人間もいることです。

 エデンは16歳のイスラエル人で、ガザから打ち込まれた迫撃砲で伯父を失いました。迫撃砲が打ち込まれた時、3人の子供をもつ父親は自宅の庭にいました。

 エデンは私達に言いました。「今でもジミー伯父さんの事を考えるのは辛いです。伯父さんの嬉しそうな微笑み、陽気な大声。今や伯父は亡くなってしまい、戻ってこないのです。」 

 今年の夏、遺族会から、代表者として二人の成人が講演のため、綾部、亀岡に来ました。
アマルは現在23歳のパレスチナ人女性で、ベツレヘムで生まれました。今回2度目の日本でした。5年前、彼女は10代の参加者として京丹後プロジェクトに参加しました。アマルは祖父と二人の叔父を紛争で失いました。

 その悲劇のあと、アマルの父親は、遺族会に加わる決意をします。そして、アマルがイスラエル人、パレスチナ人が集まるサマーキャンプへ、そして京丹後への参加を勧めます。

 アマルは最初は躊躇しましたが、やがて遺族会は紛争解決を平和的に行なおうとしていると考えるようになります。彼女はサマーキャンプの世話人、監督を努めるようになりました。

 日本へアマルと共に旅したのはイファットでした。49歳のイスラエル人で3人の息子の母親です。イフットはエルサレムに生まれ、叔父と兄を紛争で失っています。

 イファットの息子達の兵役時期に近づいてくると、彼女は家族がすでに受けた喪失について厄介な考えが浮かんできました。彼女は言いました。「母親として理解しました。私はこの悪循環を、ただ受身で、傍観することはできない、これを止めるためにできる事は何でもしなければならない。」

 彼女は今遺族会のプログラムにおいで講師を努めています。彼女とパレスチナ人パートナーはイスラエルの教室に入ります。そこでは90%の学生は今までに意味あるパレスチナ人とのコミニュケーションを持ったことがないのです。彼女は言います。学生達はパレスチナ人をただ潜在的テロリストとして見ているのです。毎回の授業が終わる前に、学生達はパレスチナ人のゲストに近づき、握手を求めそして、さらに質問を投げかけます。

 私は、イスラエル、パレスチナへ行く時はいつも、以前の参加者に会うようにしています。 2005年、最初の綾部プロジェクト参加者の同窓会を現地でしました。たくさん集まってくれました。楽しく、日本についての思い出話であふれました。

 その同窓会で、1人のパレスチナ人のことを覚えています。彼女はとても賢く、日本文化にもとても関心がありました。

 日本では、彼女はイスラエル人とも仲良くできると述べていました。しかし、一旦家にもどると、気持ちが変わりました。パレスチナ人が直面する日常の難題に再び遭遇したときです。

 彼女は言いました。将来新しい独立国家パレスチナの指導者に自分はなる決意だ。そしてイスラエルには不屈で、パレスチナに対するイスラエルの政策には譲歩しないと。

 しかし、彼女は日本でイスラエル人のルームメイトと過ごした短い期間をいつも心に留めていると認めました。そして、イスラエルに対する厳しい最終決断をする前に、その事を思い出すようにすると語っています。

 最後にもう一つ別のエピソードをご紹介して終わりたいと思います。 彼らが、帰宅した後、世話人からのメールを受け取りました。

 グループは、深夜テルアビブ空港に到着しました。イスラエルの子供達は、早く税関を通過し荷物を受け取りました。パレスチナ人の子供達は二時間以上続く税関での検査に直面しました。

 親達が外で待っているにも関わらず、イスラエルの若者は、新しい友人のパレスチナ人全員を待つと言い張ります。そして最後のパレスチナ人の検査が終わったあとで、グループ全員で空港を離れたのでした。

 ありがとうございました。

矢野 裕巳(Yano Hiromi)
  大本本部の国際愛善宣教課主幹
  NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所の常務理事・主任研究員

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