美からの門戸を開くために【芸術文化活動】
「芸術は宗教の母」
活動内容
新風を与えた明光社運動
出口王仁三郎聖師は「芸術は宗教の母なり」と説き、大本の中に文芸運動を幅広く推進しました。
1927(昭和2)年、聖師は短歌と俳句、冠句の文芸を主体とした明光社を発足させ、さらに文芸運動へと進めました。
聖師自ら和歌、俳句、冠句を詠み、水墨画や書など多くの作品を発表したので、全国の信徒はその影響を受けて明光社運動は大きく盛り上がっていきました。
さらに1935(昭和10)年、歌を献じて平和を祈る日本古来の祭典「大本歌祭」が聖地で開催されることによって、大本の芸術活動は一層幅広いものとなっていきました。
戦後、大本の再発足とともに楽天社と名を改め、芸術活動も大本神業の一つの大きな柱となりました。
今日の大本楽天社の活動は、明光社時代の文芸運動に加え、工芸、茶道、能楽、武道などに幅を広げ、多くの信徒によって研さんされ、芸術を通してみ教えを学ぶ世界が広がっています。
特に三代教主・出口直日は、日本の伝統芸術を尊重し、多方面の芸術に自ら精進し、それを大本の教風に広く織り込みました。
そして「信仰 即 生活 即 芸術」の教風が全国の信徒へ広がっていきました。
愛善歌
愛善歌は出口王仁三郎聖師の作った歌に、1948(昭和23)年、同志社大学付属中学校の音楽講師であった野村芳雄氏が曲を付けたことに始まり、その後も多くの曲が野村氏によって生み出されました。
歌詞は神さまのみ徳をたたえるもの、人生の生き方を示したものなどで、聴くだけで心が清められ、正しく立派に生きる力が湧き上がってきます。