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コノハナザクラ

コノハナザクラ(バラ科 サクラ属)

【発見と特徴】
 昭和28(1953)年4月14日、出口直日大本三代教主は、花明山植物園(中の島)最奥にひっそりと咲く八重咲きのサクラを発見しました。竹内 敬(たけうちけい)初代花明山植物園長が詳細に調査したところ、このサクラは総じてヤマザクラに似ていましたが、花期は1週間程度遅く、花の多くは下垂し、花弁は40~60枚程度、めしべが普通2個(花により多少あり)、果実が2個合着することがあるなどの特徴が明らかになってきました。

【発表と命名】
 当時サクラ属の権威としても知られていた小泉源一(こいずみげんいち)元京都大学理学部教授に同定(種の決定)を求めたところ、「ヤマザクラの系統で変種と考えられるものである」との回答を得ることができました。これを受けた竹内初代園長は、『植物分類・地理 第15巻 第4号』植物分類地理学会(1954)にPrunus jamasakura Sieb. ex Koidz. var. nahohiana Koidz. et K. Takeuchiの学名を与え、ヤマザクラの新変種として記載(発表)しています。原記載に伴う正基準標本(Holotype)は京都大学総合博物館の標本庫に収蔵されています。変種名nahohianaは、発見者である三代教主を記念したものです。和名コノハナザクラは小泉博士の命名で、古事記にも登場する木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にちなんだものですが、これは三代教主が望んだ名前でもありました。

【繁殖】
 この珍しいサクラを増やそうと種子による繁殖が試されましたが、種子からのコノハナザクラの出現は極めてまれで、ほとんどがヤマザクラに育ってしまいます。正確な数字は残されていませんが、多くの種子から育ててコノハナザクラが生じたのはわずか3本で、これらは大本の地方機関などに植栽されています。種子からの繫殖が難しいため、主に取り木による増殖が行われてきました。大本の天恩郷(京都府亀岡市)または梅松苑(京都府綾部市)で見られる原木以外のコノハナザクラは、すべて取り木による苗を育苗し植栽したものです。

【名木と天然記念物への指定】
 コノハナザクラの原木は、亀岡の名木に選定され(1996年6月1日)、『亀岡の名木』亀岡市名木選定委員会(1996)で紹介されました。また亀岡市指定文化財天然記念物にも指定(2002年6月28日)されています。

【大本以外でも知られるコノハナザクラ】
 国立遺伝子学研究所(静岡県三島市)には、さまざまなサクラの種や園芸品種が栽培されており、天恩郷のコノハナザクラからの取り木由来の木(導入元公開も詳細不明)も植栽されています。さらにこの栽培品から接ぎ木により増やされたものが、日本花の会結城農場(茨城県結城市)と多摩森林科学園(東京都八王子市)に植栽されています。
 『日本のサクラの種・品種マニュアル』財団法人日本花の会(1982)ではコノハナザクラを園芸品種と考え、Prunus jamasakura Sieb. cv. Nahohiana(現在では Cerasus jamasakura ‘Nahohiana’が一般的)とする学名の組み換えが行われました。コノハナザクラは天恩郷以外では知られていなかったので、園芸品種、あるいは雑種や一代限りのような植物ではないかとする考えは昔からあったようです。しかしながら1994年4月以降、三重県いなべ市や津市の複数箇所で野生のコノハナザクラが見つかっており、『みえ生物誌 植物』三重自然誌の会(2018)では、ヤマザクラの変種として取り扱っています。再掲された『亀岡の名木(Ⅱ)』亀岡市名木選定委員会(2018)も同じ見解で、村田 源(むらたげん)元京都大学理学部講師・元花明山植物園顧問によりCerasus jamasakura (Sieb. ex Koidz.) H.Ohba var. nahohiana (Koidz. et K. Takeuchi) Murata nom. nud.の学名が与えられています。
 コノハナザクラの分類学的位置については、今後もさらなる調査や研究が必要であると考えます。