出口王仁三郎聖師略年譜 | ||
1871年 | 明治4年 | 京都府亀岡に生まれる(旧名・上田喜三郎) |
1878年 | 明治11年 | 祖母宇能から言霊学を学ぶ。12歳ごろに小学校で代用教員をつとめるなど、村人から「神童」といわれる |
1898年 | 明治31年 | 高熊山(亀岡)で1週間の修行を行う。出口なお(大本開祖)と出会う |
1899年 | 明治32年 | 開祖の招きに応じ、大本入り |
1900年 | 明治33年 | すみこ(二代教主)と結婚 |
1918年 | 大正7年 | この頃より、作歌・書・水墨画の揮毫が多くなる |
1921年 | 大正10年 | この年より『霊界物語』(全81巻)の口述をはじめる |
1926年 | 大正15年 | 亀岡に瑞月窯を築き、前期楽焼の製作をはじめる |
1931年 | 昭和6年 | 全国80余の短歌結社に加盟、月々1千余首の短歌を発表。2年余に『花明山』をはじめ歌集10冊余発刊 |
1935年 | 昭和10年 |
日本の故事にのっとり「歌祭」を復興し、亀岡で大本歌祭を行う。 |
1942年 | 昭和17年 |
第二審で大本事件は治安維持法が無罪となり、王仁三郎・すみこは保釈出所。書、画、短歌、茶道、謡曲、仕舞等を奨励し、自らも書、水墨画を揮毫する |
1944年 | 昭和19年 | 亀岡の佐々木松楽窯で楽焼き(耀盌)製作をはじめる。21年3月までに約3千数百個を製作 |
1945年 | 昭和20年 | 大審院で治安維持法無罪が確定。終戦に伴う大赦令により不敬罪も消滅し、大本事件解決 |
1948年 | 昭和23年 | 1月19日昇天(76歳) |
1949年 | 昭和24年 | 陶芸評論家・加藤義一郎氏が王仁三郎の楽焼茶盌を「耀盌」と名付け、「耀盌顕現」として『日本美術工芸』誌に発表 耀盌鑑賞会が開かれる。【8月大阪・阪急百貨店(日本美術工芸社・阪急百貨店文化部共催)、9月京都市美術館(京都新聞主催)、10月東京国立博物館・応挙館(日本陶磁協会主催)、11月石川・北国会館(大本北陸本苑主催)】 |
1972年 | 昭和47年 | 大本海外作品展(「出口王仁三郎とその一門の芸術展」)をパリ・セルヌスキー美術館で開催(パリ市主催)。以後、50年12月までに、欧米6ヵ国、13都市を巡回。ロンドン展はビクトリア・アンド・アルバート王立美術館で開かれ、入場者7万人を超す。ニューヨーク展では、聖ヨハネ大聖堂で大本祭式による開催奉告祭を執行。その後、梅松苑(京都府綾部市)のみろく殿などで行われた他宗教との共同礼拝は「聖なる冒険」と評された |
著書『霊界物語』『道の光』『道の栞』『霊の礎』など多数