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耀盌顕現

「日本美術工芸」誌上で発表、耀盌鑑賞会が開催される

陶芸家が目にした耀盌—–「古今独歩です」

昭和23(1948)年の末ごろ、大本竹田別院(兵庫県北部にある出口直日三代教主<昭和27年(1952)年4月に三代教主就任>の当時の居宅)を訪れた金重陶陽氏と金重素山氏に三代教主が耀盌を見せられた。
初めて目にする色とりどりの茶盌約60個。半日ほど眺めた陶陽氏は、「古今独歩です」(過去から現在に至るまで追随するものがないという意)と発し、三代教主から促されるままに、その中から陶陽氏が「天国二十八」、素山氏が「御遊(ぎょゆう)」を頂いた。

耀盌「御遊」
※金重陶陽氏 故人
明治29(1896)年生。岡山県和気郡備前町伊部の陶芸家。室町・桃山時代の古備前を再現した備前焼の中興の祖。昭和31年(1956)年に人間国宝。

耀盌、世にでる

昭和24(1949)年2月6日、当時の日本美術工芸主幹であった、加藤義一郎氏(陶芸評論家)が金重陶陽氏・素山氏宅を訪れる。左は、その時の加藤氏の日記である。

「陶陽氏不在、令弟七郎氏(素山氏)と語る。王仁師手造り『天国二十八』『御遊』の二盌をみせられておどろく、その色彩とリッチさ、茶盌の姿、芸と人格、天才」

この感激の記録を加藤氏は、早くも昭和24(1949)年3月号の『日本美術工芸』誌に「耀盌顕現」という短文で発表(下記はその一部抜粋)。

「のちの耀盌二盌の偶見(たまたま目にすることの意)を許され、驚倒した。おどろきのあまり、これこそ明日の茶盌でなければならぬと言った。もしも現存の陶家で、これに追随する者がありとするなれば、茶道は楽々と世界の大舞台に上がっていたに違いない」

そうして、同年の同誌8月号、12月号には長文で『天国二十八』、『茶盌師王仁』と題して掲載する(下記はその一部抜粋)。

「師(聖師)は口癖のように『茶は天国に遊ぶものである』と言っていたそうであるが、茶盌をもって如実に天国に遊ぶ機縁たらしめるべく念願して、その理想を具体化したものが、この手のものであったと思う」

「耀盌顕現」発表後、8月には大阪の阪急百貨店、9月には京都市美術館、10月東京国立博物館応挙館と3か所で耀盌観賞会が開催された。

それまでの常識的な茶盌の持つイメージを覆した耀盌の美に、各界の有識者は感嘆の声を上げた。


「日本美術工芸」誌 昭和24年(1949)年8月号

国々の垣根を越えて……

大本海外作品展が開催される

昭和47(1972)年10月18日から2カ月間、〝芸術の都〟フランス国パリで「出口王仁三郎とその一門展」が開催された。主催はパリ市、後援はフランス文化省・外務省。マルセイユ展では「天国を映し出した茶盌」と地元紙が紹介。また、フランスの世界的な陶芸美術誌『セーブル』は50ページもの耀盌特集で紹介した。

「出口王仁三郎とその一門の作品展」が開催された、パリ市立セルヌスキー美術館
耀盌を熱心に鑑賞するパリ市民
(パリ市立セルヌスキー美術館)
新聞社、美術誌の記者、通信社特派員など160人が取材・報道された(パリ市立セルヌスキー美術館)
フランス国立セーブル陶芸博物館発行の「セーブル」誌。昭和49(1974)年のクリスマス号は「耀盌特集」。50ページに渡って詳しく紹介された

この展覧会は大反響を呼び、諸外国から開催の申し出が相次ぎ、三代教主のご指示によって、2年余りにわたる欧州展が開催。フランス・イギリス・オランダ・ベルギーの計4カ国8会場でのべ15万7千人が来場した。さらに昭和50(1975)年にはアメリカ、カナダ両国の5会場で約9万人余りが来場した。

ロンドンでの会場となったビクトリア・アンド・アルバート王立美術館
期間中78,000人のロンドン市民が鑑賞
(ビクトリア・アンド・アルバート王立美術館)
ヨーロッパから海を渡り北米大陸でも開催された(カナダ国・ビクトリア市)

開かれた宗際化への道

昭和50年(1975)3月、海外展はニューヨークで思いもよらない進展を遂げる。キリスト教・聖ヨハネ大聖堂での大本式祭典による開催奉告祭である。耀盌や大本芸術が宗際化(※)への一つの道のりを切り開いた。

※「宗際化活動」とは

「宗際化」は“inter religious”の日本語訳。「宗際化活動」とは、宗教者同士が宗教・宗派の違いを越え、真の世界平和実現のために対話・協同しようとする活動をいう。
昭和52(1977)年2月3日、綾部みろく殿で、大本とニューヨーク聖ヨハネ大聖堂との共同礼拝が行われたとき、同礼拝式に参列した国際キリスト教大学の湯浅八郎総長が祝辞の中で次のように『宗際化』という言葉を用いた。
「地球時代が翹望(ぎょうぼう)する宗教は、ただに現存する大宗教―ヒンズー教、仏教、キリスト教、イスラム教などなど、個別のいわゆる一宗一派ではなく、人種、国籍、歴史、宗教、政体などの相違を超越して、全人類の救いを使命とする全人類的宗教であるといえましょう。もしこのような思考が肯定せられるなら、最も具体的に肝要なことは、現存する諸宗教が謙虚に冷徹に、相互理解、協力一致と反省批判、変態進化すること、即ち『宗際化』することであると信じます。本日の大本神殿におけるキリスト教礼拝式は、まさに、この宗際化の第一歩であって、誠に予言的で画期的な、聖なる冒険であると評価すべきものです」

欧州展は「平和運動」:出口直日三代教主
「父(聖師)は、耀盌を造った日に、これが、国々の国魂として鎮まる世を予言しています。この意味は、きわめて深い内義を持っていましょう。欧州展は父の予言の成る日のさきがけとして、霊的に重要な意味を持っていると思います。(中略)
高い芸術美は、人々のこころの深層にしずかに植えられ、やがてそれは心の中に意識され、働きとなって再生します。それらを通して、欧州展はほんとうの平和運動であり、みろくの世への礎をきずかしていただけるものです」

われわれの考えは大きく変わった:ル・モンド紙(フランス)昭和47(1972)年11月12日付 
「われわれは最近、茶道というものが厳格なものであり、したがって茶盌の陶作に関しても、簡素とか、飾り気のない色調を用いなければならないという「おきて」に制約されていることを知った。
ところが、このほどセルヌスキー美術館において開催されているまことに「野趣ゆたかな」茶盌の展示を見て以来、われわれの考えは大きく変わった。それらの作品は静寂であるが、一面、華麗である。あたかもボナールやルノアールが描いた桜とか、感覚的なバラのようにあざやかである。それでいて決して規範は失われていない」

天国の存在:クリスチャン・マロンデ氏(フランス国立ブサンソン美術館館長)
「光り輝く耀盌が悠然と並び、生命のよろこびと楽天主義に充ち充ちている。色彩と形は健全さとあいまって力強く、素材でこまやかな調子をかなでている。私たちをとりまく自然とその素晴らしさを映し出した心と精神の鏡なのだ。これらの作品を見ながら、天国がここにはじまり、いまこの瞬間に存在しているのだと思えてくる」