大道実践の原理 「四大主義」(しだいしゅぎ)
一、清潔主義 心身修祓の大道
一、楽天主義 天地惟神の大道
一、進展主義 社会改善の大道
一、統一主義 上下一致の大道
清潔、楽天、進展、統一の四項目からなる四大主義は、天国天人が実践している生活そのものです。
地上天国を建設していくことが人生の目的であると教えられている私たちは、この四大主義の実践に努め、人として生まれさせていただいた使命を果たさせていただくことが最も大切です。
清潔主義 心身修祓の大道
清潔主義を実践することは、物質方面だけでなく、霊的な方面、心の方面をも祓い清めることです。
私たちはとかく目に見える方面のみにとらわれがちですが、物質方面を祓い清めること以上に、霊的な方面のお祓いが大切です。
私たちは日常生活の中で、物質的な祓い清めは、意識的に、また無意識のうちに行っています。
朝起きたら顔を洗いますし、窓を開け、掃除をします。
風呂に入って体を洗うこと、日々の掃除で補いきれない部分の定期的な大掃除なども、修祓、潔斎ですし、身だしなみや、トイレに行くなど生理的現象による行動も、無意識のうちに行っている体内の浄化、潔斎です。
私たちの体内では、常に浄化作用が行われています。
物を食べると胃腸で消化され、体内に必要な養分が吸収されると、残った部分は体外へと排泄されます。血液の循環も、胃腸で吸収した栄養分、呼吸器で取り込んだ酸素などを末端組織まで運び、使用された不要物を体外へ運び出して新陳代謝を行っています。
この体内での浄化作用のいずれかが障害を起こすと、体のバランスを崩し、健康を損なう原因となります。
天地自然の潔斎
天地自然の潔斎は、大潔斎、中潔斎、小潔斎に分けられます。
大潔斎は、大地震、大洪水など、天地の大掃除です。
中潔斎は国家、社会の大掃除で、戦争、火事、飢饉など。
小潔斎とは一身一家の掃除のことです。
大潔斎、中潔斎は、それらが起こることによって被害が伴います。神から見れば潔斎ですが、人間の小さな視野で見ると、これは災いであるとも言えます。
聖師は、「大三災小三災の頻発も人の心の反映なりけり」と示しています。
大三災とは風、水、火による天災、すなわち大潔斎のことで、小三災とは、飢、病、戦による人災を意味します。
ここ数年、異常気象や大地震、アメリカ同時多発テロに端を発したアフガニスタンやイラクでの戦争など、大三災や小三災が頻発しています。
このような災禍が起こるのは、人の心が反映しているのです。
邪気が災害の原因に
清潔主義は、霊体不断の修祓です。
霊的方面でみると、心の中に起こる地獄的な想念、恨み、ねたみ、憎しみといったものを絶えず祓い清め、常に清らかな気持ちで生活していなければ、清潔主義とは言えません。
それができていないから、その心の反映として、大三災、小三災が起きているのです。
すべての災害は邪気に原因があり、地獄的な想念が凝れば、それが社会全体へ影響して、災害を起こすのです。
異常気象が起こるのも、社会に争闘があるのも、社会共同の責任であると認識しなければなりません。
環境・食物が心に影響
出口日出麿尊師は、環境と食物が心に大きな影響を与えることを示しています。
私たちの身近な環境を見てみましょう。
便所のツボにはうじ虫がわき、溝には溝相応の物がわき、きれいな水にはきれいな魚が住んでいます。
不衛生な場所には腐敗が生じます。きれいな花園にはその蜜を求めて蝶が飛び交い、美しさを求めて人が寄り、天国さながらの空間が現出します。
このように、環境のいかんによって住むものも変わり、人間の気持ちも天国的になったり地獄的になったりします。
食物も人間の心に大きな影響を与えます。
肉食は精神的にも肉体的にもあまりよい影響を及ぼさないと示されています。
特に日本人は、昔からあまり肉を食べなかったため、体質的にも肉食はふさわしくありません。
腸の中で腐ると非常な毒になるそうです。
また肉類を多く食すると、性欲が強くなったり、気持ちが荒くなったり、忍耐力がなくなります。
食物は、植物性のものを主とした方が良く、植物性の物でも新鮮なものを摂取することが、体にも心にも良い影響を与えます。
植物性のものは、その土地の気を含んでいて、新鮮なほど気が充満し、栄養価は高いです。
しかし、現在店頭に並んでいる野菜の多くは、形は美しくても新鮮さが感じられません。
食物は旬のものがよいのですが、その季節にしか収穫できないものが年中出回っていて、いつが旬かも分からない状態です。
加えて、外国から輸入される果物や野菜、多量に農薬が使われているもの等も多く出回っています。
自分の健康は自分で守っていかなければいけません。
自身で無農薬有機農法で畑作を行ったり、害のない食物を求めるなど、体によいものを頂くよう心がけたいものです。
良い言霊で浄化を
清潔主義とは心身修祓の大道であり、修祓はすべて祓戸の神のお働きです。
私たちが奏上する祝詞は、全大宇宙を清める祓戸の神に、神意に反すること、罪、汚れを祓い清めていただき、神々が祓い清めの神徳を発揮されることをお願い申し上げるものです。
私たちは、祝詞を奏上するとともに、神人一致し、罪けがれを祓い清めるよう努めていかなければいけません。
祝詞だけでなく神書、宣伝歌、愛善歌などはすべて神の言葉であり、天授の真理です。
それらを声を出して発していくことで、大きな言霊の力によってその一帯が浄化されていきます。
加えて、周りに対して善言美詞に努め、人をほめたたえ、気持ちの良い明るく前向きな言葉をかけていくことも大切なことではないでしょうか。
楽天主義 天地惟神の大道
一般的に楽天主義というと、自分自身が楽しければそれで良いというふうにとらえられがちです。
しかし、自分の喜びを得るために周囲の人に不快な思いを与え、社会に害をなし、ひいては地球環境をも悪化させていることに気づかなかったり、気づいていても狭い範囲の喜びのために見て見ぬふりをしていることが、私たちの周囲には多いことも事実です。
楽天とは天命を楽しむことです。
天命とは、神から与えられた天職使命であり、神からのお言いつけです。
動物にも植物にも鉱物にも天命があり、いのちがあります。
すべてのものがその天命にしたがって天地の化育に参加することが、真の楽天です。
悪に陥りやすい特性
私たちの身の回りの動物、植物、鉱物は、天命にしたがって天地の化育に参加しています。
与えられた境遇に不平を言うわけでもなく、与えられた天命を果たすために懸命に生きています。
それに比べて、万物の霊長である人間はどうでしょうか。
人間には、神から分け与えられた知能と霊性が備わり、動物に比べてずば抜けて優れています。
それは、神の代行者として神の願われる理想世界を建設するために与えられたものです。
しかし、その優れた知能、霊性が、逆に悪霊の欲望を満たすために発揮されてはいないでしょうか。
現在、日本で、世界で起こっている現象を考えてみると、人間自身がより便利にしていこう、合理的にしていこう、開発していこうと行ってきたことが、オゾン層の破壊や地球温暖化現象などの世界的な異常気象につながり、神が造り上げられた美しい地球をも破壊してしまっています。
また、優れた知能は、核を開発したり自然や人を破壊していくさまざまなものを生み出す方向へと、利用されてきているのです。
人間は、神の入れ物になり得ると同時に、悪霊の入れ物にもなり得る特性を持ち合わせています。
そのために起こる罪悪の心が、神のみ心に背く形として現れてきているのです。
信仰的刹那最善主義
それでは、万物自然の心境である楽天的な気持ちで生きるには、どうしたらよいのでしょうか。
大本では、信仰的刹那最善主義の実践こそが楽天主義だと教えています。
すべてを神に任せ、刹那刹那に最善を尽くすことです。
人間には、幅広い自由意思が与えられています。
その自由意思を行えるのは、「今」という刹那だけしかありません。過ぎたことはいくら悔やんでもどうにもなりませんし、先のことはいくら思いわずらっても仕方ありません。
すべてを神に任せ、その時その時を楽しみながら精いっぱい生きることが、真の楽天です。
「今」というものは、過去が積み重なって「今」になったものですし、過去の結果があらわれたものです。また「今」が伸びていけば、未来になるものです。
過去も未来も現在が積み重なり、また現在が造っていくものです。
よく「人事を尽くして天命を待つ」と言われますが、すべてを神に任せて自身の最善を尽くす「天命を知って人事を尽くす」生き方の実践が、真の楽天主義の生活です。
楽天主義を実践し、勇んで暮らすことによって、歓喜に満ちた生活が現出します。その生活こそが、地上天国なのです。
進展主義 社会改善の大道
進展とは、より良くなりたいという行動の希望です。
天命を楽しむ「楽天主義」の実践には、行動が伴い、動きがあります。
その動きには、すべてのものが良くなりたい、向上したい、進歩したい、開発したいという、前向きな希望を持っています。
これは、私たちの周囲だけでなく、大宇宙のすべてにあるものです。
消極は地獄、積極は極楽
人間だけでなく、動物も植物も鉱物も、完全なものはありません。
完全でないから、より完全に近づくために、絶えず進展しようと努力し、生成化育を遂げています。
そして、すべてのものは常に進展し続け、後戻り、し直しはしないのが真のあり方です。
尊師は「消極は地獄であり積極は極楽である」と示し、生活の中で積極的に物事をなしていくことの大切さを説いています。
信仰生活では省みることが大切ですが、省みることは消極的に考えられる向きがあります。
省みるとは「少し上を見続ける」ことで、決して萎縮してしまったり、引っ込み思案になったりすることではありません。
現実を向上させる
現実は、一足飛びに理想どおりにいくものではありません。
少し上を見るということは、理想を見ながら今の現実を一歩ずつ着実に理想に近づけていくことです。
私たちは、天授の真理である「教え」と現実を照らし合わせ、現実をより理想に近づけていくことに努めていくことが大切です。
刹那最善主義の実践
そのために、常に内に省み、「教え」にそぐわない点は改善していく勇気が必要です。
自己を改善していくには、理想にそぐわない自己というものを捨てることが大切です。
自己を捨てることによって、より自己が拡大していくものです。
そして、信仰的刹那最善主義を実践し、謙虚に自己を省みる心によって、霊性の上でも進歩向上していくことができるのです。
この世の中は、一本の道筋の進展でなく、相反するものが順序よく行われていくことで進展していきます。
一日の生活の中には、夜があって昼があります。
呼吸をするにも、吐く息があって吸う息があります。食事を食べれば、必ず排泄という行為が伴います。
これらが順序よく適度に行われ、進展があるのです。
すべて、この+と-との無限の組み合わせによって、宇宙のすべてのものが生まれ、進展していっているのです。
進展していく中には、目の前にハードルが立ちはだかる場合もあります。
しかし、それを乗り越えると一気に道が開けることもよくあります。
さまざまな試練に遭い、壁にぶちあたって苦しい思いをしながら、真剣に神に祈り、その壁を乗り切っていくことが、人間をより成長させていくことにつながります。
神が創造したこの大宇宙は、無限の広がりをもちながらわずかな狂いもなく、一刻も休むことなく動いています。
私たちの人体も、寝ている間も神の守護を受けて活動しています。
私たちも、進展し続けるすべてのものに逆行することなく、常に前向きに進んでいきたいものです。
統一主義 上下一致の大道
統一主義は、四大主義の中でも最も重要なものです。すべてのものに統一がなかったら、そのものの存在自体がなくなってしまいます。
宇宙そのものが統一体
大宇宙そのものが、統一体をなしています。
無限に広がる広大な宇宙の空間にある天体は、すべて統一されて動いています。その軌道が不規則になったり変更されたら、宇宙そのものの統一がなくなってしまいます。
また、人体やその細胞一つひとつ、分子、原子といった極小の世界まで、すべて統一が保たれています。
中心帰向の調和相
統一とは、中心帰向の調和相です。
すべてのものは統一体であり、それぞれに必ず中心があります。
人間なら、頭が中心となって、頭の指令によって手足などの部分がその意思を把握し、体現しています。
団体生活の中では特に、統一は不可欠です。
団体なら必ず団体の長が中心になります。
その長と団体を構成する人たちの気持ちが一つになって物事が行われたとき、その団体は繁栄していきます。
神を中心とした統一体に
すべてのものは、神によって造られ、神によって生かされています。
すべてのものにとって、神を中心とした統一体になることが、それぞれの真の幸福につながっていくのです。
そのためには、「まつり」が不可欠です。
私たちは、神からつくられたすべてのものとまつりあわせていくとともに、創造主である神を絶対の中心として統一し、まつりあわせていくことが大切です。
そして、神のリズムである宇宙の普遍的なリズムにまつりあわせ、そのリズムにとけ込んだ生活を心がけていくことが、真の幸福につながる道なのです。
神のもとにすべてのものが和合し、神が願われる理想世界建設のために、私たち一人ひとりがその神業に奉仕していくことが、統一主義の根幹です。