祭典諸行事では取材のため、参拝・参加者の写真およびビデオ撮影を行い、機関誌や大本のHP、YouTubeの「大本公式チャンネル」などにアップすることがあります。詳しくはこちら

出口日出麿尊師30年祭

 青年時代からすぐれた霊的感受性を持つ。大正8年(1919)、大本入りし、昭和3年(1928)、三代教主と結婚。
 第二次大本事件では獄中で過酷な体験をし、以来、〝神仙の世界〟に身を置き、霊界、現界の霊的浄化救済に全身全霊を捧げた。
 伝記に『神仙の人・出口日出麿』がある。

日めくりカレンダー

お示し:向上への道

 どんなつらい環境にあっても、これを切りぬけようと努力をつづけるところに人生はある。
 いたずらに他をうらみ、世を呪(のろ)ってはならない。

 何かに向かって働くのが人生だ。

 貧窮になってみて、はじめて、貧乏のどれほど辛いものであるかがわかる。病気になってみてはじめて、病人の気持ちが了解できる。死んでみて、はじめて、死というものが理解できる。
 宇宙は大学であり、真理はどぶの中にもころがっている。
 たえず何かを求めて、あがき苦しみ、もがき呻(うめ)いて、そして、ついに何かを悟ることができたら、人生は成功だ。
 悟っただけの世界へ、死後は、はこばれるのだ。

 ある与えられた道筋より外へは出られないのである。しかし、その道筋というのは、けっして、最初から一定不変の絶対的なものではなく、その方向は絶対的であっても、その長短や道幅は、人間の努力ひとつで、どんなにでもなるものである。

 どうしても、情を主とし、親しみを先にしてからでなくては、しっくりとゆくものではない。

 頭の生活は行きづまる。腹の生活でなくてはならない。(『生きがいの探求』から)

お示し:人生の旅は目標を定めて

人間が生まれてから一生何をしたかわからず、また自分で、なんおために生きとるのやらわからず、終わってしまうということほど不幸なことはないのであります。いわゆる酔生夢死というて、ただ飯食うて生活のために一生懸命はたらいて、一生何かに追い使われるような気分で過ごしてしまって、さて、何を知ったか、何を悟ったかというようなことになると、なんにも得たところがない。世間につれ代につれて、風があっちへ吹けば向こうへ行き、波がこっちへ立てば、

こっちへ打ち上げられるというようなことで、自分で何をしたということもなしにあがき、あせりして死んでしまうということは、たとえ、その人が長生きしたところで、なにも意義をなさんのであります。そこで早くから、も少し深く考え、深く味わって、結局、人と神との関係ということについて、何か知ることができれば、非常に落ちついた気落ちでその日その日を送る事が出来るのであります。

旅行する上においても、目的(めど)というものがなければ、どこへ行くのかわからん。人生の旅においても目的(めど)なしい、ただ人から、世の中から追われて、あちらへ突きあたり、こちらへ転げるというふうにして行ってしまうのであったら、はなはだつまらんことであります。植物や動物とちがって、人間は万物の霊長であるゆえんは、人間には理想というものがあって、こうしたい、ああしたいと思い、よい考えをもち、よい目的を持って、その方へすすむことができることであります。ところが動物や植物にはそれができない。ただ、その辺の事情、境遇のままにそだって、花咲いて実がなって枯れてゆく、はなはだ自然であるが、はなはだ進歩がおそい。人間の方は肉体の構造は

お互いに同じよでありますが、その人の努力、その人の決心ひとつで、おなじ時、おなじ境遇に生まれたひとでも、心の上には十年、二十年とたつうちには、格段の差がついてくるのであります。形の上では八尺の人もまれであり、百貫の人もめったにおらず、そう懸隔はつかないが、心の上の差というものは百万倍、千万倍でもつくのであります。それだけ人間は自由があり、ありがたい能力があたえられているのであります。それだけ油断をすれば他人(ひと)から非常に遅れてしまう。いわゆる虫けら同様、草木同様の一生を送ってしまうことにもなるのであります。

ここをよく考えねばならぬ。非常によい物は、また使いようで非常に悪くなる。よく切れる刀は、使い手がよいと大変に役にたつが、悪いと人を傷つけ、自分を傷つけ、非常にわるい凶器になってしまう。

人間は実際よい霊性を神さまから与えられている。この代では一番上のものである。いちばん幸福になるべきものである。それだけに怠けると草や木や動物以上に悪くなる。草や木や動物は決して悪いことはしない、大したわがままはない、計画がない。他人をだましたり、他人を倒したりして

喜ぶ性質はごく少ない。どうなりこうなり自分が伸びてゆけさえしたら満足している。虎や狼でも、植物さえあれば物を奪らない、ゴロッと寝ころんでいる。

ところが人間は、いくらあってもあってもまだ欲しい。あればあるほどきたなくなる。力が強く、智慧が発達していればいるほど、方向がちょっと違うと非常に悪い方に伸びてくる。はじめ方向をきめるというおと、これが非常に大事なのであります。つまり、神さまに近づくのも、また悪魔に近づくのも、その人の決心ひとつ、心ひとつ、これがいちばん大事であります。これをしっかり決めてかからんと、いくら信仰しても、いくら生活し、世の中を体験しても、なんら得るところなくして終わってしまう。(『信仰叢話』から)