祭典諸行事では取材のため、参拝・参加者の写真およびビデオ撮影を行い、機関誌や大本のHP、YouTubeの「大本公式チャンネル」などにアップすることがあります。詳しくはこちら

四代教主二十年祭

出口聖子四代教主

平成13年4月29日に四代教主さまがご昇天になり、本年は20年を迎えます。四代教主さまは草花をこよなく愛し、日本伝統文化を重んじられ、信仰即生活即芸術の道を実践して大本の教風を高められた他、全国各地を巡回し、信徒と親しく言葉を交わされ信仰の内面的充実を強くお諭しになりました。また、脳死や遺伝子組み換え作物などの生命倫理問題に警鐘を鳴らし続け、脳死・臓器移植反対活動では自ら街頭に立ち署名を呼び掛けられました。

ご教示

 脳死を人の死と認めるかどうかについて、十数年前から問題にされてまいりましたが、大本では教えの上から脳死は人の死ではないと再三表明してまいりました。教祖出口王仁三郎は心臓の停止をもって霊魂が肉体から離れてゆくと教えているからです。
 脳死問題が語られる背景には、臓器移植問題があるわけですが、私は、肉体はその人固有のものとして神さまから与えられたもので、他人に移植することについては、問題があると思っています。たとえば、移植後の拒絶反応など、自分の体に合わないものに対して必死になっておさえようとするあらわれではないでしょうか。拒絶反応は肉体がその人固有のものである証しであろうと思います。人
 間の肉体は、神さまから貸していただいているだけで、霊界へいけばお返しするわけです。そういう意味から考えたとき、生体肝移植や脳死による臓器の提供、死後の献体など、一見たいへん良いことのように見えますが、果たしてそれが本当に良いことなのか疑問に思っています。
 社会には、臓器移植しか生存の道が残されていない方も現実におられ、第三者が軽々に判断できないことだとは思いますが、ことが人の死生観にかかわる問題であるだけに、国会における審議には慎重の上にも慎重を期していただき、良識ある結果が出されることを切に願っています。

いちばん身近な問題ですから、臓器移植やドナーカードのこと、遺伝子組み換えのことなど、よく勉強をしていただきたいと思います。遺伝子組み換えについては、日常の生活にかかわることですから、家の中では女の人が、しっかりと身につけておくことが大切でしょうね。これはみなさんの子供たちに関係してくる大切な問題です。
 ここにおられるのは、四十代の方がいちばん多いようですね。皆さんが今から(遺伝子組み換え食品を)食べ始められると何年ぐらいで、実際の影響がでてくるでしょうか。ペニシリンショック(ペニシリンに対する過剰反応によるショック死)が起こったのも、ペニシリンが出始めて十年くらいたってからだったと思います。(遺伝子組み換え食品摂取による人体への影響は)十年ぐらいで出てくるでしょうか、もし十年だとすれば、皆さんは五十代ですね。それとも二十年たって出てくるのか、それは知りませんが。
 いずれにしても遺伝子組み換えのものを食べておられたら、年齢が進んできてから、五十代、六十代くらいになってから、色々な影響が出てくるのではないかと思います。そうならないように、しっかり勉強していただいて、なるべくそういったものを使わないように、ドーモでよい品物を、安く買っていただきたいと思います。ドーモが高いと思ったら「高いぞ!こんな高いものは何ほど良くても買えない」と、はっきりと大きな声で言ってあげてください。
 また、ドナーカードやノン・ドナーカードのこと、臓器移植の問題も聞かれることと思います。私もお医者さんから「脳死」という本を頂き、読ませていただきました。先日は、阿部先生という女医さんのお話をうかがいました。
 少し前に、テレビで臓器移植を材料にしたドラマを放映していました。はじめは腎臓とか角膜とか取られ、最後は心臓を取られてしまうという内容でした。
 また臓器をもらった人は一生、免疫抑制剤を飲まなくてはいけないそうです。昔はコップ一杯くらいの錠剤を毎日、飲まなければいけなかったそうですが、このごろはよくきく免疫抑制剤がでてきて、それだけ(コップ一杯)飲まなくてよいということらしいです。しかし、中には免疫抑制剤による副作用が大きく、鬱病になって苦しみ、中には自殺する方もあるらしいです。
 しかし、マスコミなどではそういう臓器移植にまつわる良くない話は全部隠し、そういった面にはほとんど触れていません。教えの面からいうといけないということに決まってますが、お医者さんから実際のお話をお聞きし恐ろしさがヒシヒシと感じられました。どうぞ、みなさんもよく勉強していただきたいと思います。大本では、こういう教えに基づいてはっきりとダメだと言うことも、宣伝になると思います。信仰のない人には、大本の教えといっても分かりませんから、いろいろな事象(医療の面からみての問題)を話してあげられるようになっていただきたいですね。
 私は、これは(臓器移植の問題を社会に訴えていくこと)大きな平和運動だと思っています。原水爆の禁止を求めて行った運動(他の団体に先がけて、昭和二十九年から教団をあげて全国的に行脚、署名などに取り組む。しかし運動が進むうちに、偏った思想の影響を受けるようになり、三代さまのお言葉により昭和三十七年、運動を中止する)以上のものではないかと思っています。実際に始まりましたら、みなさん真剣に取り組んでいただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(要旨)

 あけましてお目出度うございます。皆さまお元気で二十一世紀の元旦をお迎えでしょうか。元旦、しかもピカピカの新世紀始まりの朝、となれば先には希望と光ばかりが見えるような気分になりますが、さて、どんな世紀となるでしょう。
 本当は新世紀になったからといって、すぐに素晴らしい時代がくるのではなく、前世紀といっても、ほんの昨日までのこと、そのもろもろの荷物を引きずってきているのです。
 それでも不思議なものでお正月が来るたびに、昨日までの諸悪はすべて消え失せたかのような錯覚に陥りがちなのは私だけではないでしょう。新年がくる度にこれまでとは全く違った良い世界が始まるような気持ちになるのは、日本人独特の先祖伝来の感覚なのでしょうか。
 本当はこの新世紀を良くするも、悪くするもみなわれわれ人間の心と行動しだいなのですが。それでも私は、この二十一世紀に神さまの約束されたみろくの世がくると信じています。ただ、不景気や自然災害、無益な戦、行き過ぎの先端医療はまだ暫くは続きましょう。それに、みながすき放題をしてなにも努力せずに「棚からぼたもち」式に、みろくの世がやってくるものではないでしょう。
 二十一世紀は本物だけが生き残る時代に入っていくだろうと思います。
 時間をかけて次第に人間そのものは勿論、農業、科学、医療等、すべての分野で諸々のよこしまなものが、淘汰されて本物のみが残っていくように思います。
 大本信徒もご多分にもれないでしょう。信者といっても名ばかりで、神床はあっても、朝夕拝も月次祭もしない信者さんもあるやに聞きます。
 何といっても信仰の基本は神さまを拝むことです。
 “さりながら祈りにまさる宝なし夢なまよひそ祈りの道を”と聖師さまは大本讃美歌でも教えておられます。
 真剣に祈りながら行動をおこしていく。拝んで何になるかと言う人も中にはありますが、こういう人たちは段々ふるいにかけられていくでしょう。
 お互いに明るい未来を信じ日々を前向きに真面目に生きてまいりましょう。
 あっ、また元旦そうそう厳しすぎる言霊を吐いてしまいましたでしょうか。
 ではこの辺で新年のごあいさつとさせていただきます。
 今年もあい変わりましてよろしくお願いいたします。